VOICE02 -Yusaku Arts Works-
miyahara yusaku museum から miyahara yusakuへ
miyahara yusakumuseum から miyahara yusakuへ


ホームページの改装が6割ほど進みました。

今回の改装では更新のできていなかったコンテンツを削除して展示会の記録等を充実させたり

各ページのイメージを変えたりしております。

http://yusaku.dee.cc/

ホームページのタイトルの変更は大きな意味はないのですが、これも無駄をなくす意味でそうしました。

当初は絵画以外にも様々な作品を掲載しておりましたので、生意気にもmuseumと銘打っておりましたが

やかり絵が主体のサイトですし宮原勇作の今後が、これまで以上に絵を主として描いていく考えですので

そのようにしました。


自分の未来を決めるための初めの行動とはなんでしょう。

それは明確に思い描くことだと思います。

そして人との出会いですね。

これは大きなものです。

人との出会いは、どれだけのアンテナを自分の頭に立てているかで決まっていくと思います。

引き合わない人とは、どれほど近所に住んでいても引き合うことはありません。

人の発している電波は世界中どこに居てても受信可能であると信じます。


僕も自分のサイトと共に、人間的にも画家としても成長し、僕の絵を見てくださる方に感謝を示しながら

制作を進めていけたらと思っております。



宮原 勇作
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# by yusaku_voice | 2013-04-02 19:23 | Comments(0)
Miyahara Yusaku Museum 改装中


只今宮原勇作公式ホームページ Miyahara Yusaku Museum を改装しております。


正常な観覧ができずご迷惑をおかけ致しますが、もうしばらくの間お持ち下さい。

申し訳ございません。


2013年3月24日 
宮原勇作
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# by yusaku_voice | 2013-03-24 15:05 | Comments(0)
風の谷のナウシカ 【コミック版】 が僕の本棚で輝いている。

風の谷のナウシカについて

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巨匠・宮崎駿先生が徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』誌上にて発表したSF・ファンタジー作品。
1982年2月号にて連載を開始し、映画制作などのため4度の中断期間を挟み、1994年3月号にて完結した。
1994年に第23回日本漫画家協会賞大賞、
1995年、第26回星雲賞コミック部門を受賞。
単行本の発行部数は累計1,200万部。

‐ウィキペディアより抜粋‐


このブログで宮崎作品を紹介するのは初めてかもしれないのですが。

僕も宮崎駿ファンタジーの大ファンです。
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宮崎駿先生の作品はアニメの印象が非常に強いですが、僕にとって、この「風の谷のナウシカ」【コミック版】

は特別なもので、これこそが宮崎駿作品だとの思いがあります。



アニメ版とは全くと言っていいほどストーリーや話の結末が異なっております。

20歳の時に初めて読み終えた風の谷のナウシカ【コミック版】は僕に大きな衝撃を与えました。

当時、環境問題というのは、どこか耳遠く感じ、「大切なんだろうけれど自分には関係のないもの」という意識でした。

しかし風の谷のナウシカ【コミック版】は、僕に真剣に環境問題、生命の成り立ち、人の命の在り方、勇気、思いやり

強さ、厳しさ…。そんなものを教えてくれた教科書的漫画だといえます。

なにか、心の中にどっしりとした居場所を確保してしまったのです。不思議な感覚でした。
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中でも最も印象に残った言葉は

「そんな簡易なマスクで腐海の猛毒の中を生きていけることを不思議に思わないのか?」

とナウシカが問われる場面です。


風の谷のナウシカの主人公ナウシカは登場シーンにおいて度々マスクをしており、これは腐海とよばれる有毒の植物の森から放たれる瘴気

(しょうき)から身を守るための物という設定でした。

しかし、物語の大どんでん返しとして、上記のような、これまでの設定を、あざ笑うかのような言葉がナウシカに向けて放たれるのです。

「どういうことだ? じゃあ、その環境で生きている我々とは何なのだ?」となるわけです。

アニメ版からは、到底読み取れないのですが、実はナウシカの原作の結末はこのようなものでした。

①ナウシカたちは腐海の毒に対して耐性を持つように作られた人工的な種族で、環境汚染前の人間によって人工的に作られた人間であった。

②ナウシカたちは、高濃度の瘴気の中では生きていけませんが、しかしまったく瘴気のない清浄な空気の中でも生きてはいけない。
 汚染した環境に合わせて作られたので、清浄な空気の中では肺から血を噴出して死んでしまう。
 清浄な地に憧れても、その身体では、そこには決して辿り着く事ができない。

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実はナウシカが自然な人間ではなかったというのはアニメしか観ていない方には、意外に思われるでしょう。

しかし僕は、この原作のコミック版の方にこそ、宮崎駿先生の鋭く重みのある主張を感じずにはいられません。


ところで

「マスク」・「大気汚染」

これらの言葉を聞いて、最近話題となっている中国からの飛来物のこのが頭によぎりませんか?

PM2.5と呼ばれるものです。


これから先の未来、私達は「そんなマスクで、この大気を吸って平気だと思っていたの?よくそんなもの使ってるね」と

ナウシカのようなに言われてしまような時が来ると思います。

それも、それほど遠い未来のことではないでしょう。

とはいえ宮崎駿先生は未来の預言書としてナウシカを描かれた訳ではないでしょう。

作品を読んでいて、なんとなくそんな気がします。

でもそこには私達が失ってはいけない環境、失ってはいけない健康、失ってはいけない人の心が描かれているような気がします。
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ニュースで観るPM2.5の話題からは「日本人に中国を嫌いにさせてやろう」という思惑を感じずにはおれません。

確かに隣国の環境破壊は私達にとっても深刻な問題ですが、それはかつての高度経済成長の時期に日本人である我々も通ってきた道です。


もちろんナウシカは一つの創作上の世界として描かれていますから、リアルな国際問題には当てはまらない部分があります。

しかし1982年に始まったこの漫画が、何故か再び力強く光って見えるのです。


最後にナウシカの名言をもう一つ

「命は闇の中のまたたく光だ!!」

「すべては闇から生まれ闇に帰る。お前たちも闇に帰るが良い!!」

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命を、ろうそくの火のようにしかイメージできなかった当時の僕には衝撃的でした。

そう、命は闇の中の瞬く光。


正にその通り。

僕は前世の事などを話題にしますが、それは「こうかな?ああかな?」という想像のイメージの世界です。


命の在り方、生き方としてはナウシカの言葉こそがリアルな手本です。


機会がありましたら是非、皆様もお手に取ってみてください。
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# by yusaku_voice | 2013-03-06 00:32 | Comments(2)
「気付く」のではなく「思い出す」


人は「気付く」のではなく「思い出す」のだろうか?
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僕は生まれ変わりを信じている。

「輪廻」とか「前世」とか、そういう類のもの。

僕は、これを昔から何となく感じていて、手塚治虫の「火の鳥」を読むことによって

他者に伝えられる感覚として心に持つことができた。

過去と今を結ぶ繋がり。

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前世や現世といった壮大なものでなくとも。

「繋がり」という言葉の重きことを知らない者は現在はいないだろう。

様々な方法で知人や友人との繋がりを保ち、その繋がりが目に見える形になって存在している現在。

多くの繋がりを持つ現代の人は日々どんなことを思うのだろう…。


過去に生きた別の私、生まれ変わる前の私、そんなものがあり、大きな意味で今の私と繋がっている。

それはきっと本当のことだと感じている。

であるならば、あたかも今新たに気が付いたかのように感じている新しい感覚や考えは

かつて、どこかで生きていた私がすでに感じたことのある懐かしい感覚なのかもしれない。

正確に言うと

「気付たもの」のではなく、

「思い出したもの」なのかもしれない。

僕はそんなふうに思っている。



現在、僕は何かあるたびに新鮮な感覚を心に宿したり、自分自身の変化を初めての体験として実感している。

はじめて到達したり、獲得したから感動があるのであって、

「思い出している」と言い表してしまえば、なんとなく感動の度合いは薄くなるかもしれない。

過去の自分も感じたことを、また現在で追体験しているということだから。



生まれ変わりや前世を肯定すると。

生きるうちで感じる感覚は、ほぼ全て初体験ではなく「知っていた」感覚といえるのかもしれない。

スマートフォンだったり、車のハンドルだったり、触れるものは時代と共に変わるけれど。

新しいものに触れた感動や不安は、いつの時代も同じだっただろう。



思春期の気付き、20歳の気付き、30歳の気付き。

今までは、新しく獲得したもののように感じていた。


でも、これからは僕は、そのようには感じないのかもしれない。

手塚治虫の描いた輪廻の輪のように。

便利さは広がり、機能や種類は多様化しても、

私たちは自分達の構成する大きな渦の中をまわり続けるような存在なのだろうか?

微生物に自分自身が寄生している宿主の形を知る方法はない。

私達は皆、途方もなく広いが、しかし制約され限られた世界で生きているのだろうから。


「遺伝的アルゴリズム」という言葉がある。

そして遺伝子によって定まる個体の形質は表現型とよばれるそうだ。


私たちの命の図面である遺伝子さえも、個々人が違う個性をもっているように見えて

実は人という、ある限られた範囲内の形質を持つという。


言葉でも行為でも感覚でも

人は人である事を

自分が自分であることを

そんな自分もやはり人である事を

表現せずには居られない似通った存在なのかもしれない。

「世界に一つだけの花」に異を唱える訳ではないのだか。


誰もが前世と繋がりをもち、「思い出しながら」生きているとしたら…。

そういう見方も面白いかもしれない。


あなたも明日、

初めて何かを感じるかのようにして、

過去にも感じたことのある感覚を「思い出す」のかもしれませんね。
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# by yusaku_voice | 2013-02-07 23:53 | Comments(2)
あなたは誰ですか?  ‐最後の晩餐の謎‐
あなたは誰ですか?  ‐最後の晩餐の謎‐
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皆様、YUSAKU VOICE02をご観覧頂き、ありがとうございます。

私的ダ・ヴィンチ シリーズ 第二弾ということで…。


最後の晩餐  という絵をご存知ですか?

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とても有名な壁画であり、テンペラ画の傑作とされています。

テンペラとは卵黄や蜂蜜・膠(にかわ)などを混ぜた不透明な絵の具の事です。

この壁画は1495年から制作され1498年に完成されました。


日頃からレオナルド・ダ・ヴィンチがとても好きで、画集などをよく見ております。

レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)最後の晩餐の謎について

どうしても分からないことがあり調べてます。



ぜひ皆様も一緒に考えてみてください。

最近では「ダ・ヴィンチ コード」等の影響もあり、多くの方が興味をもたれたであろう問題についてです。

最後の晩餐のキリスト様の右横に描かれた、この人物についてです。
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男性なのか、女性なのか。

そもそも誰なのですか?

以後「この方」と記載します。



僕が中学生の時、「この方」について美術の先生に質問した時のやり取りを今でも覚えています。

「先生「この方」は女の人ですか?」

「いいえ、その人は男です、ユダです」

でも、全然違うことが今になってわかりました。

せんせー!!

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【最後の晩餐の登場人物紹介】

画面の左から順

バルトロマイ
テーブルの左端、つまりイエスからもっとも離れた位置におり、イエスの言葉を聞き取ろうと立ち上がった様子に描かれている。

小ヤコブ
イエスと容貌が似ていたとされる使徒。左手をペトロの方へ伸ばしている。

アンデレ
両手を胸のあたりに上げ、驚きのポーズを示す。

イスカリオテのユダ
イエスを裏切った代償としての銀貨30枚が入った金入れの袋を握るとされる。
ただし、マタイによる福音書では、イエスを引き渡した後で銀貨を受け取ることになっていたが、
ダヴィンチは、聖書にある「手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る」の表現が難しかったためではないかと言われている。

ペトロ
身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに何か耳打ちしている。

ヨハネ?
十二使徒のうちもっとも年少で、聖書では「イエスの愛しておられた者がみ胸近く席についていた」と記されている。
中性的顔立ちと『ダ・ヴィンチ・コード』の影響からか女性と思われがちだが、それはこの作品を問わずレオナルドに良く見られる画風である。
(ヨハネによる福音書13章23節)

トマス
大ヤコブの背後から顔を出しており、体部は画面ではほとんど見えない。
右手の指を1本突き立てているのは、「裏切り者は1人だけですか」とイエスに問い掛けている姿と解釈されている。
左手はよく見るとテーブルの上に置かれている。

大ヤコブ
両手を広げ大袈裟な身振りをしている。

フィリポ
両手を胸にあて、イエスに訴えかけるような動作をしている。

マタイ
テーブル右端のマタイ、タダイ、シモンの3名は互いに顔を見合わせ、「今、主は何とおっしゃったのか」と問い掛けている風情である。
イエスから離れた位置に座る彼らにはイエスの言葉がはっきりと聞こえなかったのかもしれない。

ユダ ?
イエスの弟子のうち特に選ばれた十二人の使徒の一人。
イエスを裏切ったことから、裏切り者の代名詞として扱われることがある。

シモン

--------------------------------------------------
【座位順(左から顔の配置順)】

--------------------------------------------------
通説 版

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①バルトロマイ →②小ヤコブ→③アンデレ→④ユダ⑤ペトロ→⑥?

キリスト

⑦トマス→⑧大ヤコブ→⑨ヨハネ→⑩マタイ→⑪ユダ→⑫シモン

--------------------------------------------------

--------------------------------------------------
最後の晩餐の専門書 版
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①バルトロマイ →②小ヤコブ→③アンデレ→④ユダ⑤ペトロ→⑥ヨハネ

キリスト

⑦トマス→⑧大ヤコブ→⑨フィリポ→⑩マタイ→⑪タダイ→⑫シモン

--------------------------------------------------

座位順でさえも、色々な意見があります。

最後の晩餐という聖書における有名なシーンでさえ、人物の特定ができないのは、一体どうしてなのでしょう。

フィリポの為の習作
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ユダの為の習作
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私的な結論を述べてみたいと思います。


「この方」に関する僕の混乱の原因は

レオナルド・ダ・ヴィンチが絵画の中に仕込んだスコトマ(心理的盲点)の為だと思います。


このスコトマが巧妙だなと思うことは、位置的なスコトマ(描かれた場所によって見え難いこと)よりも、知識的スコトマを活用している事。

この絵が「キリストと12人の弟子(使徒)の絵」だと知っている人には「この方」は男性(虚像)に見え

何の知識も持たないで絵を観るもの(例えば子供とか)には「この方」は明らかに女性(実像)に見えるという仕掛け。


うーむ!

凄いですね!

(そうだとしたらですが)


この人物は明らかに女性であり、更には右横に座している事からキリストにとって弟子以上に親密な

信頼関係であることを表現する為の構図であり、それは直感的に見れば明らかなのに、聖書の知識

を持つ者には先入観が働き、思わぬ盲点を生み出すということではないかと思います。


ちなみに下記はインターネットで拾った専門的な通説です。

「イエスに寄りかかるのではなく、こちらから見て左のペトロのほうに体を傾けているのは、ペトロに耳打ち

されているか、答えているところだと解釈すれば良い」


ではもう一度見てみましょう。
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確かにペトロは耳打ちしているように見えます。

しかし「この方の」表情を見ると全くシックリきません。

この顔は悲壮感の漂う表情であり、虚しい諦めの笑顔にも見えます。

「この中に裏切り者? そんなことどうでもいいわ。そもそも全部、茶番劇なのよ」

とでも言っているように見えます。

そういうふうに見ると

キリスト様も

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「裏切り者の事も言ったし、ついてに俺達二人の事もしゃべれたらいいのになぁ。本当の事を全部しゃべっちゃおうかな…」

とでも言いたそうに見えてきます。 (キリスト様、ごめんなさい)



スコトマを更に深く追求すると、レオナルド・ダ・ヴィンチは最後の晩餐以降に「洗礼者ヨハネ」という中性的

な人物画を制作しており、この絵は名画ですが、万が一、教会などの追求を受けた時の一種の保険的要素

としても示されたのではないかと思います。

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上図の洗礼者ヨハネは中性的に描かれています。

ただし、やや男性寄りの中性ですね。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ローマ教会(絵の発注者)にこのように説明したのではないでしょうか?

「キリストの右横の人物は聖書に則ってヨハネであり、その他の人物ではないのだと。

自分は、後にもヨハネを中性的に描いていることからも理解していただけるだろう」と。

しかしダ・ヴィンチはヨハネを思わせて、別の人物を描いたとしたら…」。

正確に言うとヨハネと「この方」をどちらにも見えるように、二重に描いたということだと思います。

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上図がヨハネであるとすれば、同じヨハネでも、女性寄りの中性です。

しかし僕には、どう見ても女性に見えるのです。

でも描かれた時代を考えてみると。

キリストの右横の人物が女性であるということは、当時絶対にあり得ないタブーだったはずです。

まさか画面に女性が描かれているなどとは想像すらしない事だったといえるでしょう。

キリストと十二人の弟子達の絵なのですから。(これも心理的スコトマですね。)

更に当時のローマ教会にとっての主たる存在は男性であり、男性でなくてはなりませんした。

レオナルド・ダ・ヴィンチが、この点にローマ教会の歪みと矛盾を感じていた可能性は大いにあります。


またレオナルド・ダ・ヴィンチは当時、他にも犯してはいけない教会的なタブーを犯しています。

受胎告知という絵の百合の花に雄しべと雌しべを描いたのです。

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白百合は純潔の象徴。そしてご存知の通り、「マリアは処女のまま」 という設定なので、

当時は雄しべと雌しべは省かれた形で白百合が描かれていました。

若いダ・ヴィンチのこの行為は批判の的となりました。


ではダ・ヴィンチは、危険を承知の上で、なぜそのような事をしたのでしょう?

そして最後の晩餐でも、そのようなことをしたのでしょう。

最後の晩餐は

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当時のローマ教会の腐敗を告発し、それによって歪められた長いキリスト教の歴史と人間の物語であり

その真実の告発は対象として当時の人にではなく、遠く長く未来に生きる人々に託されたのではないかと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチの思考は分かりませんが、僕はそのように解釈しました。

テーブル上のパンの位置が五線紙になぞらえた音符であり、実際に奏でるとレクイエム調の音楽となるという説もありますが、それは事実だとしても「絵画上の遊戯」の部分でありダ・ヴィンチのメッセージの主たるものではないように思います。

数年前に話題となったダ・ヴィンチコードでは、次のような説に基づいて説明されています。

「キリストは神ではなく人間の男性(預言者)であり、マグダラのマリアと結婚し、子を授かった」のだと。

「そしてその歴史はコンスタンチヌス ローマ皇帝により新約聖書として教会の都合よく修正(歪曲)された」

「キリストの血脈(子孫)は現在も途絶えておらず、マグダラのマリアの遺体はルーブル美術館の地下に眠っている」
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とのことです。

僕は、そこまでは分かりません。

真偽を見極めるだけの知識を持っていません。

ただ「この方」は悲しげで、言いたくても言えない心を秘めている女性なのだ と感じます。

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皆様の目には、どのように映ったでしょうか?


「この方」は本当にマグダラのマリア様なのでしょうか?

それはわかりません。

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マグダラのマリア (ペルジーノ作)




感想などあれば、お気軽に教えてくださいね。


また文章中に誤りがあった場合は、お詫びします。

※最後の晩餐には諸説あり、特に人物特定には解釈の違いがありえるかもしれません。

 このブログの掲載記事が個人的な考えを述べているものであり、他の解釈が多く存在しております

 ことを最後に述べさせていただきます。

 ありがとうございました。
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# by yusaku_voice | 2013-01-17 20:52 | Comments(0)



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滋賀県在住
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